おきなぐさ

うずのしゅげを知っていますか。

 宮沢賢治の童話「おきなぐさ」の書き出しです。

うずのしゅげを知っていますか。
 うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。
そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても、私にはわかったようなまたわからないような気がします。

童話「おきなぐさ」

 このあと賢治は、「それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽をべんべろと言いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全くおなじです。」と続けていますが、それでは私どもの方(花巻)では「おきなぐさ」を「うずのしゅげ」と言っているかというと、どうもそう言う人は今はいませんでした。古い言い方なのか、あるいはもう少し別な地方の言い方なのか。(余談ですが、「べんべろ」は花巻では「べんべろっこ」とも言います。)

 宮沢賢治記念館と宮沢賢治イーハトーブ館の間にある南斜花壇では、今(5月13日)おきなぐさの花が開花し、やわらかな銀の糸が垂れています。童話では次のように続きます。

「そしてあの葉や茎だって立派でしょう。やわらかな銀の糸が植えてあるようでしょう。私たちの仲間では誰かが病気にかかったときはあの糸をほんのすこうしもらって来てしずかにからだをさすってやります」

南斜花壇

 南斜花壇はもともと、賢治が花巻温泉の求めに応じて設計、整備したものです。
1923(大正12)年に開業した花巻温泉は、冬季スキー場地の南斜面の緩傾斜地に花壇の整備を企画し、1927(昭和2)年農学校教師を辞した賢治に設計を依頼しました。花巻温泉には稗貫農学校時代の教え子冨手一が園芸主任として勤めており、賢治も冨手一と一緒に施工にも従事したようです。この時の冨手一宛の手紙と設計図が残されており、その手紙で「南斜花壇とでもご命名願います」と書いています。
 この花壇は終戦までにいつしか消滅してしまいましたが、その跡地は現在は花巻温泉バラ園となっています。バラ園には賢治の詩「冗語」が碑になって建っています。花巻温泉バラ園「冗語」詩碑のページもご参照ください。

賢治設計の南斜花壇の図面


 この残された手紙と図面を基に南斜花壇は、1988(昭和63)年、賢治記念館の南斜面に日時計花壇と一緒に再現されました。

宮沢賢治記念館の南斜花壇全景

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