賢治が勤めた花巻農学校があった場所(現在は市立文化会館)の近くに賢治墓所の身照寺がある。この寺の前身は日蓮宗花巻教会所で、この設立のため賢治は深く関わった。宮沢家の墓に並んで賢治の供養塔(五輪塔)が建っている。
 宮沢家の宗旨はもともと浄土真宗で、賢治の父政次郎は菩提寺の安浄寺の檀家総代も務めるほどの篤実な仏教徒であったが、昭和26年に日蓮宗のこの身照寺に菩提寺、墓所を移した。供養塔は昭和32年4月15日に建立されたものだが、賢治は「家では特別扱いは致しません。」といった父政次郎の意を受けて、小倉豊文が供養塔にするよう進言したことによる。

宮沢賢治供養塔 並んで宮沢家代々の墓石

法華堂建立勧進文

 この原稿用紙に書かれた文章は、賢治が農学校に勤めていた当時花巻に日蓮宗の協会所を建てたいという動きがあり、そのことを叔父の宮沢恒治(母イチの弟)から相談を受けた賢治が、乞われて賛同者を募るために起案したもので、原稿用紙7枚が残されている。法華堂は実際に日蓮宗花巻教会所として昭和3年に建立され、現在はその後身として身照寺が建つ。この寺の墓所に宮沢家の墓と賢治の供養塔がある。

身照寺参道
身照寺本堂