小岩井農場は、盛岡市の北西12キロにあり岩手山の南麓に位置する民間最大規模の総合農場で、明治24(1891)に井上勝(鉄道庁長官)によって開設された。井上に資金援助を約束したのが岩崎弥之助(三菱社二代目社長)で、その岩崎を井上に紹介したのが日本鉄道会社副社長の小野義真であった。岩崎は日本鉄道の大株主であった。「小岩井」とは小野・岩崎・井上の頭文字からとったもので、三氏の協力で創業した農場という意味で「小岩井農場」と名付けられた。

 農場用地は地質が悪く自然条件も厳しい自然環境のうえ、農牧の構成も粗放であったため、創業8年で経営が破綻し、引き継いだ岩崎久弥(三菱社三代目社長)によって現在の姿の牧畜による経営に移行した。外国からエアシャー、ホルスタインなどの種牛、ハクニー、サラブレットの種馬やその他綿羊などを輸入し、総合的な牧畜の基礎を整えたほか、私設電話、場内馬車鉄道の敷設、私立小学校などのインフラも整備した。
 農学校教師の賢治は、生徒と一緒に北海道修学旅行で近代的農業を見聞してきており、総合的、近代的な経営を目指すこの小岩井農場にも多大な関心をもったと思われる。

心象スケッチ「小岩井農場」

   パート一
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらっとひかったくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖たひとだ
…(略)…
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭者がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消しだ
馬も上等のハックニー

 1922(大正11)年5月21日の日付をもつ詩作品「小岩井農場」は、591行にもおよぶ賢治詩作品における最長編詩編である。前年12月に稗貫農学校教諭となった賢治は、休日(日曜日)を利用して小岩井農場縦断の目的をもって、橋場線軽便鉄道小岩井駅に降り立った。前年大正10年6月に橋場線は雫石まで開通し、花巻から日帰りができるようになった。ここから小岩井農場を抜け、鞍掛山から柳沢を経て、東北本線滝沢駅に至る20キロ余の歩行の予定であった。

宮沢賢治イーハトーブ館発行『拡がりゆく賢治宇宙ー19世紀から21世紀へ』より


 ところが、途中に雨に降られ、育牛部を過ぎたあたり(現在のまきば園北側か)で引き返すことになる。この往復歩行を自身の心象スケッチとともに、農場の様子や豊かな自然環境も描いている。

トロ馬車

 小岩井農場の本部と製乳所を結ぶ場内輸送機関として、レールの上を馬車が走る馬車鉄道(トロ馬車)が敷設された。敷設されたのは明治37(1904)年で、橋場線の開通にともない大正13年12月に小岩井駅まで延長された。心象スケッチ「小岩井農場」には馬と馬車がたびたび描写されるが、このトロ馬車も賢治は見たかもしれない。