盛岡市街から北西に望まれる2,038mの岩手県最高峰の山。賢治は盛岡中学に入学してからこの山に登りはじめ、おそらく30回以上も登山したといわれている。たいていは盛岡から鉄道で滝沢まで行き、柳沢に前泊し、早朝に馬返し登山口から登ったとみられことが作品の内容からうかがわれる。心象スケッチ「岩手山」「東岩手火山」をはじめ、岩手山周辺を舞台とした詩、童話、散文作品が数多く残された。

小岩井農場から見た岩手山
岩手山登山ルート 滝沢駅—柳沢ー馬返し登山口—山頂(下りは網張温泉へも)

「彼は盛岡在住十カ年の学生生活に於いて恐らく三十度以上も登山をしています。土曜の午後に単身山へ登り、山で一夜を明かして、翌朝は下宿へ帰って居たり、日曜日で日帰りをしたり、親類の中学生達を引率して豪雨の中を登山したり、岩手山に対する賢治の親愛の情は、如何に深かったかは想像にあまりあります。」


関登久也著『宮澤賢治素描』より

岩手山登山記念写真

 年譜によれば,賢治盛岡中学校2年生の明治43年9月23日から25日にかけて岩手山登山を行っている。同行者は引率の教諭ほか上級生など11名で、柳沢口から頂上をきわめ、網張温泉へ下り、小岩井を経て盛岡に戻った。このとき寄宿舎近くの写真館で記念撮影を行った。雨で濡れたため室内ではなく庭先で撮影したという。

登山者のうち有志で撮った写真 前列左が賢治

鞍掛山

 岩手山の手前に馬の鞍に似た山容で横たわるのが鞍掛山。心象スケッチ『春と修羅』は巻頭の「屈折率」「くらかけの雪」の2篇から始まる。「屈折率」は小岩井農場の南方に連なる七つ森を、「くらかけの雪」は小岩井農場の北方にある鞍掛山を題材にしている。

小岩井農場から柳沢へ向かう途中の春子谷地から見た鞍掛山 手前の低地は春子谷地湿原