やぶ屋

 やぶ屋は、泉沢善雄著「賢治周辺の聞き書き」(雑誌「ワルトラワラ」所収)によると、創業者の佐々木圭三が大正12年6月、21歳のときに現在地に開業したという。大正12年は賢治が花巻農学校の教師時代、店主の佐々木は賢治より5、6歳年下で兄弟くらいの年齢差であって親しく親交したようだ。賢治は「ブッシュ」と呼んで贔屓にしていたといわれる。
 農学校教師時代の賢治は、「春と修羅 第二集」「序」に「じつに愉快な明るいものでありました」とあるように、学校内外で愉快な時代を送ったようだ。このやぶ屋でも、友人と一緒に食事をしながら語り合ったり、生徒たちを連れてきてご馳走したりと、活き活きとした一面の賢治エピソードを残している。その一つが「天ぷらそばとサイダー」である。賢治は、やぶ屋ではサイダーを飲みながら天ぷらそばを食べたというのである。やぶ屋の天ぷらそばは賢治の好物だったようで、森荘已池『宮沢賢治の肖像』によるとサイダーと天ぷらそばは賢治の定番であったようだ。今の時代で考えると奇妙な取り合わせだが、ハイカラ好きといわれる賢治のこと、当時はまだ気軽に口にすることの出来なかったサイダーをこの店で楽しんだようだ。



レストラン精養軒

 精養軒は、これも泉沢善雄(前掲)によると、やぶ屋と同じ大正12年の創業。創業者の大木英治は東京の精養軒で修行し、その後外国航路の客船での修行を経て花巻で西洋料理店を開業した。ご覧のように建物は石造りの2階建て、当地方ではかつてない構造で工事費も桁違いだったようだ。残念ながらこの建物は、平成15年に都市計画による道路拡幅のため取り壊されてしまった。
 精養軒が提供するメニューは西洋料理で、アイスクリームも作っていたようだ。家人の話では、ハンドルの付いた器械に氷を入れて作っているところを見たといい、そして賢治は度々アイスクリームを買いに来たという。これで思いつくのは「永訣の朝」だろう。精養軒は賢治の家から歩いて数分の近いところにある。病床にある妹トシのために賢治は、出来立てのアイスクリームを求めてこの店に通ったであろう。
 なお、この精養軒の支店が岩手軽便鉄道花巻駅の2階にあった。この支店のことについては、別掲の〈岩手軽便鉄道花巻駅〉のページをご参照いただきたい。



宮善商店

 ここに写っているのは宮善商店、賢治の母イチの実家である。宮善商店はイチの父宮沢善治が一代で財を築いたといわれ、専売の塩や、砂糖、石油などを商っていた。現在も同じ構えで業務を営んでいる。
 自動車が店の横の門の下に写っているが、その奥が母屋や蔵が立ち並ぶ屋敷内で、門を入ってすぐに井戸がある。賢治の母イチは賢治が初産で、実家に帰ってお産を迎え、賢治はこの井戸の水で産湯につかったといわれる。この井戸は今でも残っており、宮善商店の計らいで毎年賢治の誕生月の8月に、一般に開放し見学できるようにしている。