権現堂山

   一〇三四 〔ちゞれてすがすがしい雲の朝〕
ちゞれてすがすがしい雲の朝
烏二羽
谷によどむ氷河の風の雲にとぶ
いま
スノードンの峯のいたゞきが
その二きれの巨きな雲の間からあらはれる
        下では権現堂山
        北斎支那の絵図を
        パノラマにして展げてゐる
北はぼんやり蛋白質のまた寒天の雲
        遊園地の上の朝の電燈
こゝらの野原はひどい酸性で
灰いろの蘚苔類しか生えないのです
        権現堂山はこんどは酸っぱい
        修羅の地形を刻みだす
         ……(以下略)

「詩ノート」より

 「詩ノート」に権現堂山が出て来る詩があります。地元でもあまり馴染みがない山ですが、賢治は花巻温泉近くからこの山の方向を眺めてこの詩を詠んだようです。遠くにスノードンの峯、その下に権現堂山が北斎の絵図のようにひろがっている様をいっているようです。スノードンは早池峰山で、たしかに花巻温泉からは東方向にこのように眺められますが、現在は住宅が増え、それを囲む林などに遮られてパノラマのようには見えません。

 詩の他にも権現堂山の名が書簡に記されています。大正7年5月、盛岡高等農林学校研究生の賢治は、学校が稗貫郡から請け負った地質調査のためこの稗貫地方一帯(現在の花巻市エリア)を実地調査で歩いています。その時の父親あての葉書で、調査行程を家に連絡しています。出発地は分かりません(たぶん自宅)が、葛で北上川を舟で渡り、権現堂山を超え、その東の廻館山(まったちやま)を廻り、亀ケ森八幡館に出て、大迫に泊まる、と記しています。

《五月十九日夕 大迫町 石川旅館ニテ 賢治拝》
 本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森八幡館に出で候処、未だ午後二時にて更に大迫に参り当地に泊致すべく候。
 明日は当地より石鳥谷に至る街道に沿ひて縷々横道に入り見る位の事に有之候。明後日夕刻帰花仕るべく候。明後日にて五万分一地形図の花巻号は大体調査済みと相成るべく候。

大正7年5月19日 宮沢政次郎あて 葉書

 私たち宮沢賢治・花巻市民の会ではこのルートを探査しました。賢治の稗貫郡地質調査の足跡を調べていた花巻の安藤勝夫さんの案内で実際ここを歩いてみました。
 このルートは、徒歩で八重畑(石鳥谷町)から大迫に向かう街道だったようで、地元の古老から自転車でも行き来したという話が聞けたそうです。車社会になりこの古道は使われなくなり、山への入口付近も耕地整理などで街道の面影は消えてしまいました。それでも、いったん山に入りますと何となく昔の道らしきものが識別することができ、中腹でははっきりした古道が山頂を迂回するように続いており、廻館山(まったちやま)方面へ下りて探査を終えました。

花巻から八重畑、権現堂山を経て大迫に向かう方面の地図

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