宮沢賢治は、中学と高等農林学校の学生時代の盛岡と、成人してからの8ヶ月を東京で生活したほかは、その生涯のほとんどをここ花巻で過ごしました。花巻には賢治の生活史におけるゆかりの地や、賢治文学揺籃の地として関連する自然や風景が多く残されています。それらのゆかりの地や関連施設などをご紹介しましょう。

①宮沢賢治生家 ②花城小学校跡 ③稗貫農学校跡 ④花巻高等女学校跡 ⑤『春と修羅』印刷所跡 ⑥岩手軽便鉄道花巻駅跡 ⑦花巻農学校跡 ⑧宮沢賢治墓所身照寺 ⑨雨ニモマケズ詩碑 ⑩イギリス海岸

賢治生家

 1896(明治29)年8月27日(戸籍上は8月1日)、賢治はここ宮沢家の長男として生まれた。実際は、母の実家でお産したため、産湯をつかったのはここからほど近い母の実家である。賢…

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花城小学校跡

 旧花巻町は、花巻城址を堺に北側は花巻町、南側は花巻川口町に行政的には分離しており、それぞれに小学校もあった。賢治は生家豊沢町が属する花巻川口町の花巻川口尋常高等小学校に入学した…

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稗貫農学校跡

 花巻農学校の前身で、1921(大正10)年4月に郡立農蚕講習所から郡立稗貫農学校に改編され、その年の12月に賢治は教師として勤めた。生徒が2学年で僅か60人余という小さな学校で…

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花巻高等女学校跡

 賢治が勤める稗貫農学校の隣に岩手県立花巻高等女学校があった。明治44(1911)年に県立では2番目の高等女学校として創立された。この女学校の音楽担任教師に藤原嘉藤治がおり、勤め…

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『春と修羅』印刷所跡

 心象スケッチ『春と修羅』は、発行所は東京の関根書店とういう名義だが、印刷その他一切の作業を花巻のここにあった吉田印刷所で行い実質賢治の自費出版であった。吉田印刷は少し遠回りにな…

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岩手軽便鉄道花巻駅跡

 岩手軽便鉄道は花巻から釜石を結ぶ東北線の支線として、1915(大正4)年に仙人峠まで開通した(その先の大橋までの峠区間は徒歩)。1936(昭和11)年に現JR釜石線として国有化…

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花巻農学校跡

 宮沢賢治は1921(大正10)年12月に稗貫郡立稗貫農学校に教師として任用されたが、在職中の1923(大正12)年4月、稗貫農学校は郡立から県立に移管され、岩手県立花巻農学校と…

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宮沢賢治墓所

 賢治が勤めた花巻農学校があった場所(現在は市立文化会館)の近くに賢治墓所の身照寺がある。この寺の前身は日蓮宗花巻教会所で、この設立のため賢治は深く関わった。宮沢家の墓に並んで賢…

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雨ニモマケズ詩碑

 花巻で賢治詩碑といえば、ここ雨ニモマケズの碑を指す。賢治没後3年目の昭和11年11月21日に建立。今では全国に数多ある賢治の碑でも、ここが1番目の碑である。 碑文は最初は「業の…

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イギリス海岸

 岩手県を縦断する大河北上川の中流、花巻市街地にほど近い岸部で賢治が名付け、農学校教師時代に生徒とよく遊びに来ていた。賢治は散文「イギリス海岸」で、広く露出する青白い凝灰質の泥岩…

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羅須地人協会

 この建物は、雨ニモマケズ詩碑の場所に建っていたものが移築され、偶然にも、これも移転になった花巻農業高校がこの同じ場所に整備され、現在は農業高校の敷地内に保存されている。もともと…

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