盛岡高等農林学校最終学年3年生の賢治は、学校の寮を出て弟の清六や従弟たちと市内下の橋(しものはし)の玉井家に下宿した。下宿先は盛岡の市内を流れる中津川に架る下の橋のそばで、近くには岩手公園があり、弟や従弟たちが通学する盛岡中学校の通学にも便利な場所にあった。下宿を営む玉井郷方は稗貫郡長を務めたこともあり、その後台湾で公職につき、退職後帰盛し盛岡中学校の書記を務めた。
下宿の近くに共同井戸があって賢治も利用していた。今はその井戸の跡をボーリングし、下の橋交差点の小公園にある賢治歌碑の隣に「賢治清水」として市民が利用している。
「ちゃんがちゃんがうまこ」四首
下の橋に次の短歌の碑が建っている。ちゃがちゃがうまこ(盛岡の呼称はチャグチャグ馬コ)は、今は毎年6月の第2土曜日に行われている盛岡を代表する祭り。この当時は端午の節句に農耕に疲れた馬を癒し、無病息災を祈って綺麗に着飾った馬を引いて神社にお参りした。下宿を早朝に抜け出し、そばの下の橋で祭の行列を見物したことを歌っており、見物人のなかに弟も混ざっている。
「ちゃんがちゃんがうまこ」 四首 大正六年
夜明げには/まだ間あるのに/下のはし/ちゃんがちゃがうまこ見さ出はたひと
ほんのぴゃこ/夜明げがゞった雲のいろ/ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て来る
いしょけめに/ちゃがちゃがうまこはせでげば/夜明げの為が/泣くだぁぃよな気もす
下のはし/ちゃがちゃがうまこ見さ出はた/みんなのながさ/おどともまざり