熊野神社・毘沙門堂の山門
毘沙門堂

 成島毘沙門堂は、花巻市の東方に位置する東和町の北成島にあり、毘沙門堂と隣接する熊野神社と一体になって境内を成している。明治時代初期の廃仏毀釈以前は一つの寺社であったという。室町後期に建造されたといわれる毘沙門堂には、平安時代中期(10世紀末から11世紀初頭)に制作されたと推定される、像高3.6m、ケヤキ材の一本造の兜跋毘沙門天立像が安置されていた。
 賢治が訪れた時は堂の中に毘沙門天像があったと思われるが、国指定重要文化財に指定された像は新しい収蔵庫へ遷座され、現在は堂の脇の階段状の歩道を登った裏の方の小高いところにある建物で公開されている。

「祭日〔二〕」詩碑

 毘沙門像を安置する収蔵庫に至る階段状の小道の脇に宮沢賢治の詩碑が建っている。碑文は、「文語詩稿 未定稿」の「祭日〔二〕」で、この地方に流行った病気の平癒を願い、毘沙門堂に詣でて、その像の脛に味噌を献上する母親たちの姿を描いている。かってひそかな民衆信仰として、ここの毘沙門像の脛に味噌を塗りことにより、家内安全無病息災を祈願したという。この情景を賢治は「毘沙門像に味噌たてまつる」とよんだ。

「祭日〔二〕」詩碑 隣の祠には毘沙門像の脛の等身大のレプリカが置かれている
詩碑表面 碑文は宮沢清六氏の揮毫による

  祭 日〔二〕

アナロナビクナビ 睡たく桐咲きて
秋に瘧のやまひつたはる

ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
草の峠を越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
四方につゝどり鳴きどよむなり

「文語詩 未定稿」

 詩文の「アナロナビクナビ」「ナビクナビアリナリ」「ナリトナリアナロ」「アナロナビクナビ」は、法華経陀羅尼品第二十六に、毘沙門天王が法華経護持のため「阿梨(アリ)那梨(ナリ)莵那梨(トナリ)阿那籚(アナロ)那履(ナビ)拘那履(クナビ)」という呪文を唱えた教えがあり、それを引用して作者賢治は各連で尻取り式につなげたといわれる。

 詩碑は、宮沢賢治の実弟清六氏が揮毫したもので、昭和34年9月21日に毘沙門堂脇に建立されたが、新収蔵庫への遷座にともない昭和62年6月7日現在地に移し替えられた。