五輪峠はかつては遠野街道、人首街道として遠野と江刺を繋ぐ街道の要所で標高556mの峠。種山高原は南方5kmにある。現地には文語詩「五輪峠」の碑が、東和町五輪牧野開放10周年記念として、昭和55年8月に建てられた。これと同時に五輪塔も、それまで子供でも動かせるほどのものが現在のどっしりとした大きさに建て替えられた。
五輪峠
五輪峠と名づけしは 地輪水輪また火風
(巌のむらと雪の松) 峠五つの故ならず
ひかりうづまく黒の雲 ほそぼそめぐる風のみち
苔蒸す塔のかなたにて 大野青々みぞれしぬ
「文語詩稿 五十篇」より
「春と修羅 第二集」に1924(大正13)年3月24日と25日の日付をもつ詩篇「五輪峠」「丘陵地過ぎる」「人首町」の連作があり、賢治はこのとき岩手軽便鉄道鱒沢駅から五輪峠を経て、人首方面へ歩いて向かったと推定される。
五輪峠
「春と修羅 第二集」より
あゝこゝは
五輪の塔があるために
五輪峠といふんだな
ぼくはまた
峠がみんなで五っつあって
地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと
たったいままで思っていた
地図ももたずに来たからな