水沢緯度観測所または水沢天文台(現在は国立天文台・水沢VLBI観測所)は賢治の作品に度々登場する。科学の最先端知識に興味と感心のある賢治は、盛岡測候所や水沢緯度観測所などの観測機関・施設を何回か訪れていたようだ。「土神と狐」と「風野又三郎」にその時の経験とおもわれる描写がある。

「星に橙や青やいろいろある訳ですか。それは斯うです。全体星というものははじめはぼんやりした雲のようなもんだったんです。いまの空にも沢山あります。たとえばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。それから環状星雲《リングネビュラ》というのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲《フィッシュマウスネビュラ》とも云いますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でしょう。」
「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね。」

「土神と狐」より

 その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅だったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾きましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗だらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外らしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。

「風野又三郎」より

 1898(明治31)年、国際測地学協会総会で、世界共同の緯度観測所が北緯39度8分の線上に6箇所置かれることになり、日本では水沢が選ばれ、翌32年に開所した。初代所長木村栄博士は、ここでZ項という緯度変化の公式について世界的発見を行った。

保存されている旧水沢緯度観測所の建物
旧水沢緯度観測所

 「春と修羅 二集」所収の「水沢緯度観測所にて」と副題を付した「晴天恣意」(1924(大正13)年3月25日の日付)異稿には「さてわたくしに見へないながら/あの天頂儀の蜘蛛線を/ひるの十四の星も截り」とある。

 緯度観測の方法とは、天頂儀という特殊な望遠鏡で、天頂付近を通過する恒星を観測することによって、観測地の正確な緯度軽度を算定するという。その際、観測器には蜘蛛の糸が用いられていたという。小さな星に合わせて、その位置を測れる細くて丈夫なものは蜘蛛の糸以外になかったという。賢治は観測のやり方を説明してもらい、或いは天頂儀をのぞかせてもらったこともあるのではないかと思われる。