花巻で賢治詩碑といえば、ここ雨ニモマケズの碑を指す。賢治没後3年目の昭和11年11月21日に建立。今では全国に数多ある賢治の碑でも、ここが1番目の碑である。
 碑文は最初は「業の花びら」が候補であったが、宮沢家の推薦により「雨ニモマケズ」に決定、だが長すぎて困るということで再度協議の結果、詩の後半部を碑文とすることになったといわれる。
 碑文の揮毫を高村光太郎に依頼。送られて来た版下文面に誤字・脱字があることに気付いたが、高名な詩人・彫刻家に対し賢治は無名な地方詩人であるという遠慮から、碑文は誤字・脱字のまま刻印されることになった。後に花巻に疎開していた光太郎に追刻を依頼。光太郎は世にも珍しい詩碑だということで喜んで引き受けた。
 碑の下には賢治の遺骨が分骨埋葬され、あわせて法華経、文圃堂版宮沢賢治全集等を納めた箱を安置した。毎年命日の9月21日にこの碑の前で賢治祭が催される。

 除幕式は建立日の翌々日11月23日に行われた。この記事は式翌日のもので、それによると、当日は雪もようの風のやや強い天候で列席者は賢治の教え子や友人・知人、町の人たちや地元の学校生徒など5百人ほどであった。
 賢治の姪による序幕のあと建立実行委員長佐藤隆房氏の式辞、父政次郎氏のあいさつ、花巻町長ほか多数の来賓祝辞が続き、式典終了後は会場を替えて午餐会があったようだ。
 今は静かな環境でひっそりと佇む詩碑であるが、序幕の際は大勢の列席者によって見守られた船出であったようだ。

追刻

 詩碑の碑文揮毫をした高村光太郎は昭和20年8月、空襲で東京の自宅アトリエを消失し、宮沢賢治全集編纂で交際のあった宮沢家に疎開し、終戦後もそのまま花巻で生活することになった。予て詩碑の誤字・脱字を気にしていた佐藤隆房(碑建立実行委員長)は、滞在中の光太郎に碑文の訂正・追刻を相談、依頼した。二人は昭和21年11月3日、追刻のために足場が組まれた現場に出向き、光太郎は筆をとって直接碑面に訂正の文言を書き入れ、後で石工が刻印したという経緯である。

この写真では行間に「松ノ」「ソノ」「行ッテ」「ボー」の追刻が見える