「求道」碑

宮沢賢治記念館周辺には、記念館の開館を記念して二つの碑が建った。いずれも宮沢清六氏の発案によるものである。
この求道の碑は、一般市道から宮沢賢治記念館が建つ胡四王山へ岐れる道(記念館へのアクセス入口)の側に建てられたもので、宮沢賢治の世界を索ねる入り口を意味する。

碑文は「農民芸術概論綱要」序文の一節。書は、比叡山延暦寺の葉上照澄師の手によるもので、賢治自筆の署名が碑文に添えられている。葉上照澄師は天台宗僧侶大阿闍梨。1957年(昭和32年)9月21日の賢治25回忌に合わせ、比叡山延暦寺根本中堂前に賢治の歌碑が建立されたが、師は宮沢賢治の生き方に感銘し碑の建立を発願された方である。碑陰に「宮沢賢治記念館の完成を期し建立す」と記されているとおり、昭和57年9月21日に開館した宮沢賢治記念館の開館を記念して建立されたもので、記念館の建物脇に建つ「よだかの星」彫刻碑と同時に開館翌年の4月13日に序幕した。
「よだかの星」彫刻碑

求道の碑と同じく宮沢賢治記念館の完成を期し、宮沢清六氏の寄付により記念館の前庭に建立、昭和58年4月13日に序幕された。制作は具象彫刻作家栗原俊明氏。栗原氏は先にぎんどろ公園に建つ「風の又三郎群像」碑を制作した4人グループの一員で、その縁で清六氏から依頼された。

「東には」歌碑


宮沢賢治記念館には開館時に十数台の駐車場があったが、それがすぐに手狭になった。予想に反して多数の来館者が訪れるようになったのだ。特に団体バスの駐車が問題となり、市では駐車場の拡張整備を行った。その結果、図らずも拡張した駐車場から東方向正面に早池峰山とそれに隣接する薬師岳の姿が望まれるようになった。
これをみて宮沢清六氏がこの歌碑を発案され、市では昭和59年3月31日にこの木柱の歌碑を建立した。ご覧のとおり賢治が詠んだ短歌にまったくふさわしいロケーションに碑が建った。

