年譜によれば、賢治は死の前日の昭和8年9月20日、呼吸が苦しくなり容態が急変したようだ。主治医の来診があり、父政次郎も最悪の場合を考えざるを得なくなり、親鸞や日蓮の往生観を語りあったという。そのあと賢治は短歌二首を半紙に墨書した。それが下に示した絶筆の短歌である。

方十里 稗貫のみかも
稲熟れて み祭三日
そらはれわたる

病(いたつき)のゆゑにもくちん
いのちなり
みのりに
棄てば
うれしからまし

 碑に刻まれたのは前半の一首。「稗貫」は花巻地方の郡の名、「み祭」は9月17日から19日までの3日間、賢治生家からほど近い城内にある鳥谷ヶ崎神社の例大祭である。この年は豊作で天気も良く、祭りは人出で賑わいをみせたという。
 碑の建立者は花巻地区の校長退職者有志による会で、1992(平成4)年に「み祭」の鳥谷ヶ崎神社に奉納した。

碑の背後に見えるのが鳥谷ヶ崎神社拝殿