花巻温泉と宮沢賢治の関係は深い。散文「台川」は花巻温泉を流れる川を探索した物語であり、またここを舞台に幾編かの詩作品もを書いている。また、花巻温泉からの依頼で花壇の設計や造成、街路樹の植樹など温泉街の環境整備にも関わった。碑に刻まれた「冗語」という作品もここの花壇を造成した際に書かれた詩作品だ。
 賢治生誕百年の1996(平成8)年10月に、花巻温泉株式会社が自社のバラ園に建立した。透明なガラス板に白色の文字でプリントしてあり、周囲の色鮮やかなバラの花の景観と良くマッチしている。

碑文

 碑文は「冗語」という口語詩である。詩に描かれている「水禽園」「孔雀」「羆熊」「羽山」「電車」などから、賢治が花壇を造園したときのことを詠んだものとわかる。当時、花巻温泉の一画にあった遊園地には孔雀や羆熊が飼育展示されていた。
 なお、花巻温泉の花壇造園については〈賢治の時代の花巻・花巻温泉〉のページもご参照願いたい。

   冗 語
また降ってくる
コキヤや羽衣甘藍(ケール)、
植ゑるのはあとだ
堆肥を埋めてしまってくれ

啼いてる啼いてる
水禽園で、
頭の上に雲の来るのが嬉しいらしい
孔雀もまじって鳴いてゐる
北緯三十九度六月十日の孔雀だな

ははは 羆熊の堆肥
かういふものをこさへたのは
恐らく日本できみ一人
どういふカンナが咲くかなあ

何だあ 雨が来るでもないぞ
羽山で降って
滝から奥へ外れたのか
電車が着いて
イムバネスだの
ぞろぞろあるく
光の加減で
みんなずゐぶん人相がわるい

さあこんどこそいよいよくるぞ
南がまるでまっ白だ
胆沢の方の地平線が
西はんぶんを消されてゐる
おゝい堆肥をはやく、
ぬれてしまふととても始末が悪いから
栗の林がざあざあ鳴る
風だけでない
東をまはって降ってきた

(「春と修羅 詩稿補遺」)

賢治と花巻温泉の花壇造園

 ところで、花巻温泉の花壇設計に関しては「冗語」と別のニュアンスの詩が残されている。次に掲げる「悪意」と「〔こぶし咲き〕」では花巻温泉の花壇設計・造園に携わっていることにネガティブな心情を吐露している。花巻温泉は当初花巻温泉遊園地として家族向けのレジャー・娯楽施設として計画され、賢治は依頼を受けて街路樹の植樹や花壇の設計・造園に積極的に協力したようだ。
 ところが開業後間もなくして温泉の経営は、巨額の資本を投下して遊興客を呼び込む方針に変わった。芸者や酌婦を大勢雇って遊興客相手の魔窟を拵えていると賢治はみている。詩が書かれた昭和2年は、前年の干ばつと水害により岩手県の農民は食うものにも困窮していた時代である。

   一〇三三 悪 意
          一九二七、四、八、
夜のあひだに吹き寄せられた黒雲が、
山地を登る日に焼けて、
凄まじくも暗い朝になった、
今日の遊園地の設計には、
あの悪魔ふうした雲のへりの、
鼠と赤をつかってやらう、
口をひらいた魚のかたちのアンテリナムか
いやしいハーデイフロックス
さういふものを使ってやらう
食ふものもないこの県で
百万からの金を入れ
結局魔窟を拵へあげる、
そこにはふさふ色調である

(「詩ノート」所収)

   一〇五五 〔こぶし咲き〕
        一九二七、五、三、
こぶしの咲き
きれぎれに雲のとぶ
この巨きななまこ山のはてに
紅い一つの擦り傷がある
それがわたくしも花壇をつくってゐる
花巻温泉の遊園地なのだ

(「詩ノート」所収)


 賢治が設計した花巻温泉の花壇は「南斜花壇」「日時計花壇」「対称花壇」などが造成されたが、温泉施設の建て替えや拡張などによりしばらく姿を消していた。その後、「南斜花壇」「日時計花壇」は宮沢賢治記念館に再現され、また花巻温泉では賢治が手を掛けた「南斜花壇」跡地にバラ園を造り多くの観光客に喜ばれている。そして、そこに透明を基調とした賢治の詩碑を建立した。碑建立者の意を汲み取りたい。

この噴水池の向こう側が南斜花壇跡。そこに「冗語」の詩碑が建つ